最大の謎

たくさんの謎を残しつつ生涯を終えられた荀令君ですが、結局のところ何を思っていたかはだれにもわかりません。だって死の直前に自分の書き残したものをすべて焼き捨てさせちゃったんですから。

荀彧というひと⑵

そのせいか曹操に見られちゃヤバい書類があったんじゃないか、そういえば曹操が魏公になるのを反対してたっけ、病死っていうけど実は違うんじゃみたいなネガティブな憶測が一般的だけど私は、ここになにか真理があるんじゃないかと感じてます。彼は多分すごくやすらかな顔で眠った気がします。直感みたいなものですけどね。() 生前あんなに小難しい古の聖人たちの逸話を話して聞かせていた彼ですもん、なにか悟るものがあったのかなと。

あんまり書くと今後の私の著作物のネタバレになりそうなのでここらでやめておきます ()

う〜ん mystery♪令君にひとりじゃ解けない愛のパズルをもらった気分♪♪(そういう歌がありましたね〜)

「正史」自体あっさりとした紀伝体ですものね。

『知りたければ自分で探せ』ってことなんでしょうかね

荀彧という人(3)〜荀彧と釈尊

似てるといいたいのです ♪簡単にいうと。

王子として生まれ物質的には豊かな生活環境で育ってきたシッダールタは29歳で出家し、様々な苦悩の果てに悟りを開いたといわれています。

荀彧も29歳の時に袁紹のもとを去り、曹操の所に身を寄せました。

「清流派知識人」と呼ばれる当時の学閥から曹操についた事でバッシングを受けたり、日々戦乱でいたたまれなくなり文化・教育面を活性化させようとしたり、いろいろ苦労しながら悟ったこともあるのかな。

特に亡くなる直前に自分に関係する書類、上奏文、秘策を焼き捨てたという話も『諸行無常』の真理だったんじゃ?

なんて思ってしまいます

ちなみに仏教は中国に紀元1世紀には伝来してたそうなので、 みんな知ってるという訳じゃないかもしれないけど一部知ってる人は知っていたんじゃないかなと

荀彧という人(4)〜荀彧とネルソン・マンデラ

似てるといいたいのです♪

「インビクタス負けざるものたち」観たばかりなので余計思います☆マンデラ氏が荀彧様にみえたもん。さしずめキャプテンは曹さんかな(

国をまとめる中で、きっと清流派知識人たちや宦官やら元董卓派とかともこんな一連のやりとりがあったんだろうな〜〜(^o^) 

清流派知識人なんていうとどんなハイソサエティな人たちなんだろうと感じますが、政敵である宦官たち(対し濁流とも)により更迭され、弾圧されています。野に下るもの、処刑されるもの、投獄されるもの

折しも黄巾の乱が勃発し、多くの人々が政府を見限り振興宗教団体である黄巾党に加担しはじめました。押さえつけていた清流派知識人たちが黄巾党に入ることを恐れた政府は、あわてて弾圧を解除しました。元々政府の官僚層であった清流派知識人の流出も痛手だったのかもしれません。

清流派知識人たちの特権でもある、地元の有望な若者を中央に推薦する孝廉制度を復活させていきます。(もっとも警戒されているのでいい官職かどうかは微妙ですが

荀彧が許昌へ遷都を申し出て国を再編する中で、自分たち清流派知識人を敵にしていた旧勢力ともうまくやっていかなくてはいけなかったのでしょう。曹魏の急速な成長の秘密には、こうした旧勢力を排除するのではなくて活かしきったのことがあるのかなと思います。

ラストのワールドカップが官渡の戦いに見えました☆ヾ(^^)

miiku_

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